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平和学の授業から(1)
2021年度前期の平和学のクラスでは、国際関係論の基礎を学びながら、普通の人たちの声を国際関係に反映させるためにはどうしたらいいのか、あるいは、現時点で、普通の人たちの声は国際関係にどの程度の影響力を持っているのかを考えようとしています。
内容が多くなってしまうため、(1)では軍事的な安全保障に関わる問題を、(2)では、経済や環境に関わる問題、平和学で言う「構造的暴力」に関わる問題を取りあげます。
(2021年5月17日)
冷戦時代、全面核戦争の勃発を何としても食い止めようと考えた平和学は、「核抑止論」批判を展開してきました。その説明をする中で、COCOMの話がでてきて、学生から質問が出ましたので、以下のように回答しました。
COCOMは、日本では、「対共産圏輸出統制委員会」と訳すのですが、英語では
Coordinating Committee for Multilateral Export Controlsの頭文字をとったもので、直訳すると、「多国間(Multilateral)輸出統制のための調整委員会」という訳になりますね。 Wikipediaに載っているとおりです。ただ、最近は、冷戦期の細かい歴史について、触れる機会が減ってきた(冷戦構造が崩壊してすでに30年以上の年月が経過した)ため、冷戦そのものを取り扱った研究書を読まないと、調べられなくなってきましたね。
同じく、東芝機械(当時)がCOCOMに違反して工作機械を輸出した結果、ソ連の潜水艦のスクリューの性能が上がり、米国海軍に危険を与えたとして日米間の政治問題に発展したことについても、同じくWikipediaに掲載されています。事件が起きたのは1987年で、私が大学2年のときです。授業でお話したように、東芝製のラジカセが米国で、人々の目の前でハンマーで叩き壊されるのをテレビのニュースで見ていました。
参考文献として、匿名記事であるWikipediaをリストにあげるのはよくないのですが、ちょっとした物事を調べるのには重宝します。誰が書いたのかが特定できる文献でないと、参考文献リストには掲載できないのですが(これは、科学性の中の「検証可能性」を担保するという意味合いがあります)、自分で「確かだ」と確証が持てる場合には別の文献を探し出す、あるいは、「本当かな?」と思ったときには、自分で調べるきっかけをみつけるというように割り切って、Wikipediaも含めて、ネット記事を参照してみるといいです。
(5月25日)
受講生の中で、相互確証破壊についてよくわからない、という質問を受けましたので、補足しておきます。
相互確証破壊とは、もし、相手が核攻撃をしてきたら、その一発でダメージは受けるだろうけれども、また別の場所から確実に相手に報復することができる、という能力を米ソ両国がもつことによって、もし先制攻撃をしたら確実に報復されて、自分もダメージを受けるんだ、という了解が成り立つことによって、お互いに先制攻撃はしない(させない)という戦略です。
この当時、すでに大型コンピュータが存在して、社会の(軍事上の?)あらゆる制度を制御していましたが、1箇所に拠点を集中させると、そこが攻撃されて破壊されるとそれで終わってしまうため、いわゆるホスト・コンピュータ(大型コンピュータ)を分散させて、それらをネットワークでつなぐという、「インターネット」が米国で開発されました。インターネットは、もともとは軍事利用目的で開発されたものです。これが、民間にも開放されたのは1990年代に入ってから、だけど最初はコマンドを入力しないと使えなくて、なかなか個人が利用するにはハードルがありました。これが、誰でも使えるようになったのは、MicrosoftがWindowsを開発したり、その前にAppleがMacintoshを開発してGUI(グラフィック・ユーザー・インターフェース)を取り入れたことがきっかけです。
私も、大学からはじめてe-mailのアカウントをもらい、インターネットが大学内で使えるようになったのは、1995年、博士後期課程の1年生のときでした。
講義で説明する「安全保障」の基礎知識を身につけるには、半田滋『変貌する日本の安全保障』弓立社、2021年が読みやすいです。これは、元東京新聞論説委員で防衛ジャーナリストの半田さんが、2020年度に法政大学で行ったオンライン講義をもとにして執筆されたものです。
(受講生の皆さんへ)「「核の冬」と相互確証破壊」の授業動画を見た人へ(補足)
1)核の冬
受講生の中に、「核の冬」は起こり得ないのではないか、というご指摘がありました。
私も、この情報は知っています。ただ、1980年代の半ば、「核の冬」に関する論文が出たときは、まさに米ソが激しく争う「新冷戦」(1970年代のデタント(緊張緩和)から、1979年12月のソ連のアフガニスタンへの軍事侵攻によって、1980年代は再び「冷戦」が激化したことからこのように呼ばれましtあ)によって、本当に第3次世界大戦が起きたら、このような状況になるのではないか、と、それこそ「社会の雰囲気」は「核の冬」を恐れました。
実際、NHKスペシャルにおいても、2回にわたって「核戦争後の地球」と題する番組がつくられました。(VHSビデオをもっていますが、さすがにテープが劣化したのと、見ることのできるデッキがなくなりましたね。)1回目は、核爆発が起きたときの衝撃を再現するもの、2回めが、核爆発が起きた後の地球を描いたものです。この動画を皆さんにおみせすることができれば一番いいのですが、著作権の関係などもあり、YouTubeで探したのが授業で取りあげた映像です。私自身も、あまりいいものではないと思ったのですが、現時点において、「核の冬」に関する議論はもうほとんどでなくなったため、あのようなものしかなくなった、というのが真相ですかね。
2)国際関係論と平和学の視点
国際関係論は、まさに、国際システムの変容に影響を及ぼすことのできるアクターに注目するのと、冷戦後のアメリカで生まれた学問であることを反映して、大国中心的な発想に立っています。これに対して、平和学は、「戦争のない世界」、とりわけ「核兵器の使われることのない世界」をめざして誕生した学問ですが、1960年代に入り、人々の自己実現を阻むようなさまざまな要因に焦点をあてて、そのような要因が引き起こす現状を目の当たりにしたとき、単に「かわいそう」という同情の目で見るのではなく、「なぜそのような状況が生まれるのか」という、「暴力」(ここでは人間のもつ可能性を摘み取ってしまう状況を指します)が生み出される社会構造を「発見」し、どうすれば社会変革を促すことができるのか、を考えようとします。もちろん、それがかんたんにはいかないから、学問として続いているわけですね。
3)合理主義と構成主義
経済学(特に近代経済学)の想定する、「人間は合理的に行動する」と仮定したモデルは、あくまでも「理想形」であって、その「理想形」から現実がどの程度かけ離れているのか、という視点で発想するのが合理主義だ、とすると、人間の「行為」には、自分個人の「理性」のみならず、自分を取り巻くさまざまな社会環境が影響しているはずだ(「つくられた」と表現するのですかね)と考えるのが構成主義、と説明すればいいですかね。1990年代以降の議論なので、そこまで説明する段階になったら、改めて説明します。
(つづく)